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マネジメントに優れていた武田信玄
日本には、ご先祖様や神様、また龍神といった無形の世界から他力を授かる“後押し”という独自の文化があります。
特に歴史に名を残す偉人や、日本経済を支えてきた企業のトップなどは、「無形の拠り所」をうまく活用し、成功をおさめてきた人も少なくありません。
彼らはどのようにして神仏や神社の力、またその影響力をマネジメントに取り入れてきたのか。その活用法は現代においても参考になるはずです。
そこで今回は、戦国時代の大名のなかでも指折りの実力者だった、武田信玄についてのお話を紹介したいと思います。
領土をおさめる大名は、今でいえば一国の経営者です。
領土拡大のための戦さも立派な経営戦略であり、鉱物資源に恵まれた土地がほしい、港がある領土を手に入れたいと、確固たる目的を持って他国へ攻め入っていました。
そして、それはすべて自国の民衆のためでもあります。
現代でも国のトップは国民のため、会社のトップはスタッフのためによりよい環境を整えるものであり、それらはマネジメントの一環でもあります。
そうした意味でも武田信玄は、まさに優れたマネジメントを行う人でした。
信仰心が厚かった戦国時代の民
一般市民にしてもスタッフにしても、きちんと心理を読み解いておかないとマネジメントはできません。
戦国時代ともなると、民衆心理といったら「とにかく安心で安定した生活をしたい」ということに尽きます。
予期せず飢饉がきたり、突然戦さが始まったりと、そんなことは日常茶飯事の時代です。民としては、平和をもたらす優秀な領主にきてもらいたいと願うのは当たり前のことでしょう。
そのために民衆に何ができるかといえば、神仏にお願いをすることくらいです。
なので、当時の人々はとにかく信仰心が非常に厚かったといえます。
そうなると、領主である大名も民衆がどんな神仏を信仰しているかをチェックし、自らも信仰心を見せることが重要になるのです。
戦国大名にとって寄進は投資だった
例えば、Aという神社仏閣があって、そこに祀られている神様をその土地の民のほとんどが信じているとしましょう。
その場合、Aに祀られた神様を味方につければ、自動的に民衆も自分の味方につけることができます。
武田信玄も同じく民が信じている神社仏閣に寄進をしていました。
なかでも有名なのが、信州の諏訪です。諏訪大明神と呼ばれていた、現在の諏訪大社の神様を自分の味方にしていたわけです。
信玄にとって神社仏閣への寄進は、現在でいうところの投資でした。
現代の経営者でも、自分に実りがないと投資はしません。つまり、信玄にとって諏訪は投資に値する土地だったということができます。
諏訪大明神といえば、当時から全国有数の“戦さ神”としてのステータスがあった神様です。
戦で命をおとす時代、やはり戦神の闘志を授かり、守護してもらうことは非常に重要だったのです。
さらに、諏訪は水源として諏訪湖もありますし、当時はいろんな産業が芽吹いていた魅力的な土地でした。
そういったことも含め、諏訪というマーケットを自分の味方にし、おさめることは大名として欠かせない戦略だったといえるでしょう。
人と情報が集まる神社をおさえた大名たち
当時の大名はただ目に見えない力にすがっていたわけではありません。
優秀な大名ほど、日本全国さまざまな特性を持った土地をそれぞれ市場として見ており、民衆を味方につけようと戦略を練っていたのです。
土地の利を生かすことはもちろん、新たな土地への侵攻の布石になるための交通なども考え、要所となる場所をおさえていくことを考えていました。
そうした場所には、必ずといっていいほど大きな神社仏閣があり、人や情報が集まっていました。有名な神社仏閣であればあるほど、です。
信玄もそうした要所には常に目をつけており、諏訪大社もそうでした。
そして信玄は、諏訪大明神に寄進をするだけではなく、諏訪のお姫様を自分の妻にめとっています。
諏訪のお姫様ということは、諏訪をおさめている城主の娘になります。
実は、当時の諏訪は他の土地と違っていることがひとつありました。
城主といえば、例えば源氏の血を引いているなど、血筋を重視する傾向がありましたが、諏訪は血筋の出どころが諏訪大明神の化身と考えられていたのです。
その娘をめとるということは、武田家が諏訪の神様に認められたことを意味します。
つまり、武田信玄は神様を味方につけた、ということです。
もちろん諏訪の民衆も馬鹿ではありません。
当時の婚姻がある意味では人質的な要素があったことも理解していたでしょうが、それでも諏訪の城主が認めたことには違いなく、信玄は見事、諏訪の民を味方につけたのです。
神様を裏切り滅びた武田家
歴史の面白いところは、現代において振り返ることができることでしょう。
つまり、原因と結果をセットにして考察できるところにあります。
広く知られているとおり、武田信玄は全国でも有数の力を持った大名にのぼりつめていくのですが、実はその途中で諏訪家を滅ぼしています。
政略結婚はしたけれど、結局は諏訪の領土すべてを手に入れようと画策し、諏訪の城主を亡きものにしてしまったのです。
武田信玄には何人かの子どもがいたのですが、信玄が亡くなった後に家督を継いだのが、諏訪のお姫様から生まれた子どもでした。
名を武田勝頼といいます。
そして、この勝頼が家督を継ぐやいなや、武田家は滅びています。
このとき、諏訪の民衆がささやいたのは、「諏訪大明神の祟りだ」という言葉でした。
諏訪の神様の化身である一族にぞんざいな扱いをしたから、というわけです。
もちろん科学的エビデンスはありませんが、歴史を振り返り、当時の民衆の心情を多角的に見ていくと、祟りと考えてもおかしくはありません。
見方を変えれば、それほど信仰を大切していたことの証ともいえます。
また、大名たちはそうした民衆心理を、すでに経営のなかに当たり前なものとして取り入れていたのです。
そうしたことを前提に見ていくと、歴史は非常に面白い。
そして、今も昔も経営者がやってはいけないことが同じだということもわかるはずです。
土地をおさめる際に、当時の大名がなぜ現地の神様にごあいさつし、大切にしたのか。
歴史的事実から調べていくと、現代においてもマネジメントとして参考になる部分が多いことに気づかされるでしょう。
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