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【光輝ブログ】駆逐艦「雪風」~たくさんの大きな戦いを潜り抜けながらも終戦まで生き残った幸運艦~

2025年04月18日

旧日本海軍の軍艦には、無事を祈り1隻1隻に艦内神社がお祀りされていたわけですが、その中でも、神様に特に守られた、選ばれたとしか思えないような艦があります。

そのような艦は「幸運艦」と呼ばれています。

幸運艦の中でも最も運が良かったのが駆逐艦「雪風」です。
今回は、この「雪風」についてお伝えしたいと思います。

戦いの最前線に何度も行きながら終戦まで大きな損傷なく生き残った「雪風」

駆逐艦「雪風」は1938年(昭和13年)8月2日、陽炎型駆逐艦の8番艦として、佐世保海軍工廠で起工されました。
陽炎型というのはその当時主力であった甲型駆逐艦のうちのひとつで、もうひとつ夕雲型という型がありました。
「雪風」は、特に計画変更などもなく、翌年、1939年(昭和14年)3月24日には進水し、竣工後は呉鎮守府に所属しました。

「雪風」は、1941年(昭和16年)のフィリピン・レガスピへの上陸支援という初陣を皮切りに、1945年(昭和20年)の坊ノ岬沖海戦での戦艦「大和」の特攻の護衛まで、実に16回もの主要な作戦に参加したにもかかわらず、終戦まで生き残りました。それも、それらの戦でさまざまな戦果を挙げつつ、大きな損傷を一度もすることなく、です。陽炎型、夕雲型と合わせた甲型駆逐艦は全部で38隻ありましたが、唯一生き残ったのが「雪風」でした。

それが「雪風」が「奇跡の駆逐艦」、「幸運艦」と呼ばれる所以です。

終戦後、「雪風」は賠償艦として、中華民国に引き渡されることになります。引き渡しまでの間、海外に残された日本人の引き揚げのための輸送船としての役割を担いました。南方のラバウルやサイゴンなどを往復すること15回、合計で13,000人以上の人々を故郷へ送り届けました。その中には、「ゲゲゲの鬼太郎」などで有名な漫画家の水木しげるさんもいらしたということです。

その後、1947年(昭和22年)7月6日に中華民国へ引き渡され、艦名も「雪風」から「丹陽」と改められます。1969年(昭和44年)に台風の被害にあい、1971年(昭和47年)に解体されたといわれています。

優秀な乗組員の力と運で乗り切った戦場

戦中から、国内のみならず、敵国からも「雪風」の幸運ぶりは広く知られていました。

「雪風」がなぜこれほど被弾せずにいられたのかがうかがわれる有名なエピソードがひとつあります。

1945年の坊ノ岬沖海戦の時のお話です。
その当時の艦長寺内正道は、自ら艦橋にイスを置いて天井の窓から顔を出し目視によって、航海長に独特の指示を出したのだそうです。寺内艦長が右肩を蹴ったら面舵(右側へ)、左肩を蹴ったら取舵(左側へ)といった具合で、この操舵方法で米軍の攻撃をほとんど回避したとか。そうはいっても、さすがにすべての弾を避けることはできません。魚雷が1発命中しかけるのですが、なんと、その弾は艦底をすり抜け通り過ぎていきます。さらに食糧庫にロケット弾が直撃しますが、信管が作動せず不発に終わりました。まさに、「幸運」そのものです。

坊ノ岬沖海戦の後、「雪風」は本土に戻ります。京都府舞鶴市の宮津湾に移動したところを、米軍の空襲を受けたのが7月30日のこと。この時の戦いが「雪風」にとっての最後の戦闘となりました。

実は、旧日本軍には「幸運艦」と呼ばれる艦が何隻かありました。
「雪風」とともに「呉の雪風、佐世保の時雨」と謳われた駆逐艦「時雨」。航空母艦「瑞鶴」、重巡洋艦の「羽黒」、軽巡洋艦「大淀」などです。これら「幸運艦」の中でも終戦まで沈没していないのは「雪風」だけでした。

坊ノ岬沖海戦を戦った寺内艦長はのちに、「雪風」が生き残った理由について、乗組員が優秀であったのはもちろんのこと、「やはり運だろう」と語っていたそうです。あれだけの操舵をした方にそういわせるのですから、すごいことです。

それにしてもやはり、運というものは、自力を尽くした先で、よりよく物事を動かしてくれるものなのだなとつくづく感じるエピソードでもあります。

大和神社で結ばれた不思議なご縁

駆逐艦「雪風」の艦内神社は、皇大神宮になります。
他の駆逐艦と同様に、皇大神宮には特別な碑などはありませんが、広島県江田島市にある旧海軍兵学校、現在の海上自衛隊第1術科学校の庭に錨が展示されています。中華民国で解体された後に返還されたものだそうです。

「雪風」を巡って、私個人にもひとつエピソードがあります。
5,6年前になるかと思います。戦艦「大和」の艦内神社である奈良県の大和(おおやまと)神社に慰霊のため参りました。その際、たまたま乗ったタクシーの運転手の方のおじいさまがなんと「雪風」の乗組員だったのです。大和神社に向かうところで、「大和」の最後の護衛をした「雪風」に実際に乗っていた方のご家族と出会うとは! こんな巡り合わせが本当にあるものなのだと驚くとともに、私も「雪風」の幸運を少し分けていただいたのかなと思えるような出会いで、私の中で「雪風」がさらに特別な艦となりました。

今年の8月には、駆逐艦「雪風」をもとにした映画「雪風 YUKIKAZE」が公開されます。
主演は竹野内豊さんだそうで、「雪風」がどのように描かれるのか、私も非常に楽しみです。拝見しましたら、また感想などもブログに綴ろうと思っています。

「雪風」というごく稀な「幸運艦」があるということは、その他の艦は多くの命と共に沈んでしまったということ。たくさんの命を運んだ「雪風」に想いを馳せながらも、亡くなられた方たちへの慰霊の気持ちも忘れずにいようと思います。

今回、駆逐艦、戦艦、重巡洋艦などとさまざまな艦種が出てきました。艦種についてはこちらのブログをご覧ください。
【光輝ブログ】艦内神社への理解を深めるための「軍艦の艦種のキホン」

駆逐艦「雪風」データ

艦種駆逐艦・陽炎型
艦内神社皇大神宮
1938年(昭和13年)8月2日 佐世保海軍工廠で起工
1939年(昭和14年)3月24日 進水
1947年(昭和22年)7月6日 中華民国へ賠償艦として引き渡し「丹陽」と改名
1971年(昭和47年) 解体
最後の艦長東日出夫 復員事務官

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