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【光輝ブログ】弩級? ド級? 一般用語にもなった「弩級」戦艦とは~艦内神社への理解を深めるために③

2025年03月28日

旧日本軍の艦にお祀りされていた艦内神社。
艦内神社について、それぞれの艦にまつわるエピソードとともにお伝えしていますが、専門用語や特殊な状況などでわかりにくい部分も多いことと思います。

そこで、艦内神社について知っていただくための基礎知識、今回は「弩級戦艦」についてお伝えいたします。

1隻の艦から始まった「弩級」という基準

「弩級」あるいは「ド級」という言葉を聞いたことがあるという方は多いかと思います。
この言葉は1906年に現れた1隻の戦艦が由来しています。

その艦とは、イギリス海軍の戦艦「ドレッドノート」です。

大型で主砲5基など重い武器を搭載しながらも大きな速力を誇る「ドレッドノート」の登場は、全世界に衝撃をもたらしました。どんなに大きい砲を持ち攻撃力が高かったとしても、その重さのために速度が出なければ、敵の攻撃を避けることができないばかりか、艦隊の動きを乱しかねません。

「ドレッドノート」のすごいところは、攻撃力と速力の両方を最大限に満たしていたところです。そこで、日本では、「ドレッドノート」の「ド」を取って「弩級」と当て字をしてこのクラスの戦艦を「弩級戦艦」と呼びました。

「ドレッドノート」すなわち「弩級戦艦」はこれ以降作られる戦艦の指標となり、ここから日本を含む各国は、より大きな武器を積みつつも速い戦艦を作る方向へと舵を切ります。ですから「弩級戦艦」より以前に作られた戦艦は「プレ・ドレッドノート(前・弩級戦艦)」とも呼ばれています。

「ドレッドノート」を境に1906年以降、戦艦は速さを維持しつつどんどん大きくなっていったのです。
戦艦の大型化はとどまるところを知らず、改造が進んだ結果、ドレッドノートの基準を大きく超える戦艦が出てきます。それは「超弩級戦艦」と呼ばれます。

「弩級」は言葉のイメージとしては「アメイジング」であり、「超弩級」はスーパーサイヤ人の「スーパー」のように超越したといった感じです。ただし、「超弩級」は正式な軍事用語ではなく、マスコミ用語が起原のようです。

ドレッドノート以前に「弩級」クラスの戦艦を作ろうとしていた日本

実は、日本では「ドレッドノート」よりも前に、世界最大の戦艦を建造する動きがありました。

1904年、戦艦「薩摩」そして姉妹艦の「安芸」の建造計画が進んでいました。ところが、計画段階で装甲が薄いなどのさまざまな問題が発生。根本的な再設計を要求されたため、結果的には「ドレッドノート」に先を越されることとなりました。

その後、日本では「弩級」を超える「超弩級戦艦」となる「伊勢型」の「伊勢」や「日向」を建造します。さらに、第一次世界大戦後、戦艦の時代はまだまだ長く続きます。

1917年には、以前こちらのブログでもお伝えした長門型戦艦の開発が進みます。
この「長門」は、16インチ・41cmの主砲を搭載し、世界的に見ても大きく強い戦艦といわれるようになっていきます。
すると、長門型戦艦に対抗して、アメリカはすぐさまコロラド級戦艦を造成して追随します。

この頃には、戦艦は世界的に「超超弩級戦艦」などと呼ばれるほどの大型化が進んでいきました。日本でもイギリスでも、さらに大きな18インチ・45.7cmの主砲を携えた艦を作ろうと計画が持ち上がっていたほどです。

ところが、その動きにブレーキをかけたのが1922年に締結されたワシントン海軍軍縮条約でした。

軍縮が目的のはずが新たな戦い方にシフトしてしまった矛盾

ワシントン海軍軍縮条約により、建造中や計画中の艦の中止、主力艦の保有数や大きさの制限などがされました。ところが、そのことにより戦いの主流が戦艦から空母へと移っていきます。

もちろん、条約の中には空母の保有数の制限も含まれていました。ですが、まだ出始めたばかりの空母の戦力はまだまだ未知数だったため、制限のされ方は特殊だったといいます。今ならば空母といえば、海上での飛行機の離発着を担い、艦としての主な戦力は戦闘機によるものと捉えますが、当時は砲撃戦もするものと考えられていました。実際に、規定値ギリギリの艦砲を搭載する艦も建造されていたようです。

ただ、この軍縮条約で戦艦に対し強く制限をかけたことにより、空母の開発が進み、航空機の有用性を知らしめてしまったのではないかと私は考えています。軍縮のために締結された条約が、新たな軍事力を強化させてしまったというところに矛盾を感じてしまいます。

そして、世界的に戦艦から空母へとシフトしていく中、ワシントン海軍軍縮条約の失効後に、唯一、戦艦を作り始めたのが日本でした。そのとき、秘密裏に造成されたのが戦艦「大和」でした。
16インチ・46cmの主砲を携えた「超超超弩級戦艦」だったのです。

ところが、すでに空母が主流となっていた戦場での「大和」の最後は、皆さまもご存じの通りでしょう。

日常で意識せずに使っていた言葉が軍事用語だった

現在、日本では「弩級」、「超弩級」といった言葉は、「ドレッドノート」という戦艦を知らずとも、日常で使われる単語となっています。いずれも先述の通り、「アメイジング」や「スーパー」といった意味合いで使われているかと思います。それほどに、世界中そして日本で「ドレッドノート」という艦の影響は大きかったのでしょう。

例えば、アコースティックギターにはドレッドノート型と呼ばれるものがあります。このギターはボディがとても大きいことから戦艦「ドレッドノート」に由来して名付けられたそうです。

また、ドン・キホーテのプライベートブランドのパッケージの大きく目立つ「ド」は「ド級の驚きを提供する」というコンセプトのもとデザインされたそうです。

このように軍事用語を飛び越えて使われるほどの「ドレッドノート」、「弩級」、「超弩級」という言葉。
戦後が遠くなりつつあっても、その影響は残り続けるものなのだと考えてしまいます。
このような言葉も頭の片隅に置いていただいて、艦内神社について想いを馳せていただければと思っています。

日本独自に初めて建造された超弩級戦艦「扶桑」についてはこちらのブログでお伝えしています。
【光輝ブログ】日本独自の技術で初めて建造され武神を艦内にお祀りしていた超弩級戦艦「扶桑」

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