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旧日本軍の艦内神社について探求し、皆さまにお伝えしているのは、それらをよすがとしてお亡くなりになったたくさんの方々への慰霊の気持ちを届けていただきたいためです。
ですが、もうひとつ、アテアが日頃からお伝えしている通り、歴史からさまざまなことを学び、今の生き方や仕事に生かしていただきたいとの想いもあります。
今回は、太平洋戦争の中で日本にとっては最大の戦となったレイテ沖海戦についてお伝えいたします。
目次
両軍合わせて20万人以上の人々が参加した大きな戦い
レイテ沖海戦とは1944年(昭和19年)の10月20日から25日にかけ、フィリピン周辺の広大な海域において、旧日本海軍とアメリカ、オーストリアの連合軍が戦った海戦です。
このレイテ沖海戦という呼称はアメリカ側からの呼び方で、日本ではフィリピン沖海戦というのが正式名称です。 ですが、レイテ沖海戦という呼び方が一般的ですので、今回もこちらの呼称で通したいと思います。
6日間に渡るレイテ沖海戦では、大きく分けて4つ、海での戦いが勃発しています。シブヤン海海戦、スリガオ海峡沖海戦、エンガノ岬沖海戦、サマール沖海戦で、この他に基地航空部隊による空での戦いも頻繁にあったといいます。
両軍を合わせて軍事に参加した海上兵員は20万人以上。艦隊や航空機や膨大な数の兵器が投入されました。
この戦いの前に、日本は1942年(昭和17年)のミッドウェー海戦で大敗を喫し、ほとんどの空母を失っています。さらに、レイテ沖海戦と同年の6月19、20日に起きたマリアナ沖海戦でも、空母「翔鶴」、分厚い装甲の特殊な装甲空母「大鳳」、軽空母「飛鷹」をはじめとする多くの艦が沈んでしまいます。この2つの戦いにより、旧日本海軍の主力となる軍事力はほとんどなくなってしまっていたわけです。
ミッドウェー海戦の敗戦で、制空権、制海権を失い、続くマリアナ沖海戦と、ほとんどの戦力を失い、じりじりと撤退気味となっていた日本。それでも、アメリカの侵略作戦を阻止しなければならないと次に考えられた作戦は奇策というほかないものでした。
航空機部隊をおとりに。神風特別攻撃隊の出動も
戦力の面でもエリアの面でも大打撃を受けた日本は、まともに戦っては多数の空母を主体としたアメリカ軍を撃破することは不可能な状況でした。
そこで、日本に残っている航空機動部隊を全ておとりにし、水上打撃部隊といわれる戦艦を主にした部隊をレイテ湾にいるアメリカ軍の輸送船団の撃破のために突入させるという作戦を立てるのです。空母をおとりにすれば、相手の空母は撃退のためにそちらに向かうでしょう。そうして、少しでも戦艦への負担をなくすとともに、敵の防御が薄まったところに戦艦をぶつけるということです。この作戦は限定的ではありますが、成功します。
戦艦を中心とした日本の主力、栗田健男率いる栗田艦隊は最初のうちはアメリカ軍の空襲を受けていましたが、そのうちに攻撃がやみます。航空隊である小澤艦隊が敵に発見されたからであり、おとり作戦は成功したわけです。栗田艦隊はそのままアメリカの護衛空母「ガンビア・ベイ」に勝利し、レイテ湾へと突入していくのですが、近くに敵の機動部隊がいるという知らせを受け、目標を目前にして艦隊を反転させます。
これは、「謎の反転」といわれており、いまだに議論の的になり、多くの批判もされています。
というのも、そもそも敵の機動部隊はいなかったともいわれ、なぜそのような知らせがあったのか、栗田艦長がそのような判断をした理由などはいまだにはっきりはしていないのです。
結果として、日本は敗退の一途をたどります。戦艦「武蔵」、「扶桑」、「山城」、正規空母「瑞鶴」軽空母「「瑞鳳」、「千歳」、「千代田」、重・軽巡洋艦、駆逐艦とその当時残っていたほとんどの艦が沈んでしまいます。
そして、忘れてはいけないのが、神風特別攻撃隊の存在です。ミッドウェー海戦で「友永雷撃隊」が行った捨て身の攻撃が、神風特別攻撃隊として、このレイテ沖海戦で組織的に運用され、多くの命が失われます。
レイテ沖海戦が、旧日本海軍として最後の戦いとなり、事実上、旧日本海軍は消滅してしまいます。
有利なときにこそ我が身を振り返ることの大切さ
レイテ沖海戦での敗北、旧日本海軍の消滅によって、アメリカ軍がフィリピン付近を攻略することなり、日本本土への攻撃に繋がっていきます。
レイテ沖海戦で戦況を負の方向に大きく変えた「謎の反転」のことは、いまだによく話題に上がりますが、すべては「もしも」の話です。
私個人の見解としては、正直なところ、ここで反転をせずにレイテ湾に突入し、アメリカ軍の補給を断つことができていたとして、戦争に勝てていたかというと、それは難しかったのではないかと思うのです。逆にここで旧日本軍が作戦成功していたら、余計、敵軍に脅威を与えて、この大きな戦争自体がもっとひどい負け方になっていたのではないかとさえ思います。
実際のところ、この時点で、旧日本海軍としての戦力はほぼゼロとなり、さらに国内の物資も底をついている状況です。そもそも、日本という小さな島国は資源が豊富な国とはいえません。そんな国がフィリピンまで領海を広げ、アメリカ軍に恐れを抱かせ、連合軍を組ませるほどになっていたというのもすごいことではあるのですが。
ただ、そういった自国への過大評価というのも大きな敗戦に繋がったのではないかとも思うのです。
太平洋戦争でいえば、真珠湾攻撃で圧倒的な勝利を挙げ、そのまま、ミッドウェー海戦、レイテ沖海戦と進み、結局は壊滅的な大敗を喫します。良い結果だけに目を向けて、その勢いだけで前進してしまった結果ではないでしょうか。やはり、勢いを信じるだけでは無理があるように思います。
有利なことや良いことが続くときにこそ、もっとそれを分析しさまざまなパターンを検証するのが大切です。アテアでは歴史から学ぶことの必要性を常々お伝えしていますが、過去の戦争からも反面教師として学べることは多くあります。
艦内神社のお話を慰霊の想いを届けるためばかりではなく、歴史を振り返るきっかけにしていただけるとうれしく思います。
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