株式会社アテア

ブログ

【光輝ブログ】武蔵国の総社を艦内神社として祀っていた軽巡洋艦「多摩」

2024年12月25日

山梨県、東京都、神奈川県をとうとうと流れ、東京湾に注ぐ、一級河川の多摩川。関東に暮らす皆さまには親しみのある川かと思います。

多摩川から命名されたのが軽巡洋艦「多摩」です。

今回は、軽巡洋艦「多摩」と艦内神社の大國魂神社についてお伝えいたします。

修理のために日本へ戻るところを雷撃され沈没した「多摩」

軽巡洋艦「多摩」は、軽巡洋艦・球磨型の2番艦。1918年(大正7年)8月10日 三菱造船長崎造船所で起工され、1921年(大正10年)1月29日竣工します。

艦名の「多摩」は多摩川に由来するもの。旧日本軍の軽巡洋艦には川の名前が名付けられていました。一方、重巡洋艦には山の名前が多く付けられています。

呉鎮守府籍となり、就役後すぐは、シベリア出兵のための任務に就くなど、北方の作戦に同行することが多かったようです。

太平洋戦争末期には南方で活動し、1944年(昭和19年)に、フィリピンのレイテ沖海戦で、アメリカ軍の航空隊の空襲を受けて大破してしまいます。そこで、応急修理をして沖縄へ帰ろうと向かっている途中、アメリカ軍の潜水艦に発見され、魚雷を撃ち込まれ沈没してしまいます。12月25日のことでした。「多摩」の乗組員440名は助けられることなく、艦と共に深く海の底へ沈んでしまいました。

「多摩」の艦内神社は、東京都府中市の大國魂神社です。今も、多くの方々に親しまれる大國魂神社ですが、私にとっても思い入れの強い神社でもあります。

子どもの頃から親しんだ多摩川・大國魂神社とゆかりの深い艦

私は多摩川のほど近くで生まれ育ちました。
幼い頃から、家族や友達同士で多摩川に行って遊んだり、釣りをしたり、バーベキューをしたりとたくさんの思い出があります。

さらに、多摩川の周囲には川をお祀りする神社がいくつもあり、お祭りにもよく行きました。
中でも最も大きな神社が大國魂神社です。

京王線府中駅から、まるでそこからが参道のように幅広い道路が神社の前まで続き、大きな鳥居をくぐると街中とは思えないほど広く穏やかな境内が広がります。
境内の中には、堂々と鎮座する大きな本殿の他にも数多くの摂社、末社が点在し、立派な御神木も見ることができます。普段も、参拝者が多く見られますが、お祭りともなると、参道にはずらりと夜店が並び、広い参道が訪れる人でびっしりになります。

そんな中に、軽巡洋艦「多摩」の石碑があります。
「多摩」の沈没から70年経った2014年10月25日に大國魂神社では「多摩」に乗り組んでいた戦没者を偲んで慰霊式が行われました。その鎮魂碑と共に「多摩」の碑も建てられたのです。これ以降、毎年、戦没者慰霊式が執り行われています。

意外にも、神社に軍艦の石碑があるというのは珍しいことです。元海軍基地といった、実際に軍事に携わっていた場所での建立。あるいは、例えば、レイテ島沖海戦といった大きな戦を悼む鎮魂碑などはあります。ですが、艦内神社であった神社の境内に艦単体の碑というのはあまり見かけません。

このように、私にとってゆかりの深い神社であり、かつ「多摩」の石碑がある大國魂神社には、私もよく訪れています。やはり、目に見える形で遠く南方に沈んでしまった艦を慰霊できるというのは良いことだと思います。お近くにお越しの際はぜひ立ち寄りください。

その土地の神様が一堂に会する「総社」

この大國魂神社では、これまでに「神旅®ディープ」を行うこともありました。
実は、大國魂神社を皆さまに強くおすすめしたい理由がもうひとつあります。

大國魂神社は武蔵国の総社という重要なお社であるからです。

日本は江戸時代まで、現在の都道府県のように国が分かれていました。これを旧国と呼びます。まだ関西に都があった頃、この旧国には国司が派遣されていました。今でいう知事のようなものです。
国司が新たに赴任した土地で最初にしなければならない仕事が、国中のすべての神様に「これからよろしくお願いします」とあいさつに行くことでした。神社の数も今の倍以上ある上に、自動車もない時代に国中の神様の下へ訪れていたら、実務に取りかかれません。

そこで、先人たちは、現在でいうところの県庁所在地に旧国中のすべての神様をお祀りする神社である総社を作ってしまいました。総社にお参りすれば一度にすべての神様にごあいさつできるというわけです。

また、この昔の県庁所在地を国府といいます。府中と表現することもあります。

大國魂神社は、武蔵国の総社であり、府中という地名はまさしく、ここが武蔵国の国府であったことを表しています。大國魂神社の隣には国府跡が発掘されて見ることもできます。

武蔵国は国府、総社の場所が明確にわかっていますが、旧国の中にはまったくわからなくなっているところもあります。それでも、山梨県甲府市、岡山県総社市のように地名として残っているところも多いのです。甲府は甲斐国の府中なので甲府、総社市は総社があったところということ。

アテアでは、「一の宮巡り」とともに、この「総社巡り」もおすすめしています。

一の宮というのは、旧国の社長にあたる立場の神様がいらっしゃる神社です。一の宮にお参りするというのは企業の社長に直々に向き合うようなものです。

一方、総社は本社ビルを訪れるようなイメージです。本社ビルですから、社長はもちろん副社長や専務、一般社員にもお会いできるわけです。

ぜひ、「一の宮」と「総社」の違いを把握して、いろいろな神様と出会っていただければと思います。

そして、その際には、そこに艦内神社にまつわるものがないか気にしていただけたらうれしいです。

こちらでは、同じく石碑や展示館がある戦艦「大和」についてお伝えしています。
【光輝ブログ】秘密裏に建造された最大級の戦艦「大和」 奈良県大和神社とラムネ

軽巡洋艦「多摩」データ

艦種軽巡洋艦・球磨型
艦内神社武蔵国 総社 大國魂神社
1918年(大正7年)8月10日 三菱造船長崎造船所で起工
1921年(大正10年)1月29日竣工
1944年(昭和19年)12月25日
フィリピン レイテ沖海戦にてアメリカ軍の潜水艦による雷撃により沈没
最後の艦長山本岩多 大佐

大杉光輝 X(旧Twitter)やってます!

X(旧Twitter)も始めました。
艦内神社や日本全国さまざまな土地をまわる巡拝での気付きなどをつぶやきます。
ぜひ、フォローお願いいたします。

メールマガジン『とこわかジャーナル』

アテアでは、メールマガジン「とこわかジャーナル」を毎週月曜日・月4回発行しています。

セミナーやイベントなどの最新情報をはじめ、緩急力ある経営のためのひと言や日々の気づきなどを発信しております。

メールマガジン『とこわかジャーナル』

その他のブログ

【光輝ブログ】武蔵国の総社を艦内神社として祀っていた軽巡洋艦「多摩」

山梨県、東京都、神奈川県をとうとうと流れ、東京湾に注ぐ、一級河川の多摩川。関東に暮らす皆さまには親しみのある川かと思います。 多摩川から命名されたのが軽巡洋艦「……

2024年12月25日

詳しくはこちら

柔軟でしなやかな心を手に入れるための心の筋トレ【神社と経営】③

心のよりどころとして、あるいは視座を磨くための場所として、私たちを支えてくれる神社という存在。今週はさらに「神社ウェルネス®」の観点から、心掛けていただきたい「……

2024年12月15日

詳しくはこちら

【光輝ブログ】ゲーム攻略のために行う観察と分析~経営心理をゲームから読み解く試み ②~

いまやゲームは「子どもの遊び」にとどまらず、大人の趣味でもあり、ビジネスチャンスの宝庫、なかでもeスポーツは、世界進出のきっかけにもなり得ます。 私も大好きなゲ……

2024年12月08日

詳しくはこちら

神社で視座を磨き心理的安全性を確保するということ 【神社と経営】②

【神社と経営】をテーマに経営を進める上で、神社が担う役割についてお伝えするシリーズの2回目です。前回は、神社を心のよりどころとして捉え、あなたと神社の関係性をど……

2024年12月01日

詳しくはこちら

健全に会社経営を進めるために 神社がメンタルヘルスに効く理由【神社と経営】①

世界や日本の情勢的にも運気的にも揺れ動くこれからの時代。ビジネスに関わるすべての皆さまにとっても、さまざまな面において不安を感じることが多いかもしれません。 そ……

2024年11月24日

詳しくはこちら

【光輝ブログ】連合艦隊を長く率い日本国民の心の支えだった 戦艦「長門」

旧日本軍の軍艦に祀られている艦内神社について、主に和風月名を名付けられた艦を中心にこれまでお伝えしてきました。 今月は、和風月名からは離れて、戦艦「長門」と艦内……

2024年11月17日

詳しくはこちら

【見えない世界の基本①】人も土地も物も。誰もが持つ情報空間とは

アテアでは、「神旅®」を始めとするセミナーやビジネスコンサルティングなど各種サービスを通して、皆さまが望む未来へと向かうためのお手伝いをさせていただいています。……

2023年11月27日

詳しくはこちら