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今は旧暦9月ということで、9月にまつわる駆逐艦「長月」についてお伝えしたいと思います。
【光輝ブログ】多くの人々の想いによりサルベージされた駆逐艦「菊月」~和風月名を持つ艦・その5
前回の「菊月」と同様に、「長月」は、艦自体は置き去りにされてしまいますが、後に一部が日本に帰ってきています。それはどのようなものだったのでしょうか。
目次
空襲により大破しそのまま放棄された「長月」
駆逐艦「長月」は、1925年(大正14年)4月16日東京石川島造船所で起工、1927年(昭和2年)4月30日に竣工しました。前回の「菊月」からひとつさかのぼって、睦月型の8番艦となり、竣工当時の名前は「第30号駆逐艦」。1928年(昭和3年)8月1日に「長月」と改名されました。
艦内神社は、他の睦月型駆逐艦と同様、皇大神宮です。
役割としても姉妹艦たちのように輸送作戦を中心として活躍しました。
最期は、1943年(昭和18年)7月7日。ニュージョージア島でのクラ湾夜戦と呼ばれる戦いで、空襲を受けて大破してしまったため、そのままクラ湾に放棄されます。
沈んだわけではなく、壊れた状態のまま放棄されたため、なんと1944年に撮影された「長月」の写真が残っています。モノクロの写真の中の「長月」の姿は鮮明で、大破したといわれていますが、少し修理をすれば動き出しそうにも見えます。でも、戦の真っ只中ではそんな余裕はなかったのでしょう。その後、風化し崩落してしまったそうですが、あの姿のまま日本に帰ってこられたらどんなに良かったことかと思わずにはいられません。
現地の方に保管されていた時鐘
ところが、「長月」は「菊月」のように一部が日本に帰ることができています。
「長月」の時鐘が現地の方の手で保管されていたのです。時鐘というのは、時を知らせる鐘のこと。この時鐘がそのまま現存していたということです。何らかの形で時鐘は日本に持ち帰られます。そして、当時の海上自衛隊の呉地方総監であった筑土龍男さんの尽力によって海上自衛隊に引き渡されます。
1970年11月17日。「長月」の名前を受け継いだ護衛艦「ながつき」に装備され、実際に使用されることとなります。
護衛艦「ながつき」は、1997年には雷撃処分されますが、この時鐘は、京都府舞鶴市の海軍記念館に保存されます。実は、「ながつき」の号鐘(合図に鳴らす鐘)も退役に伴い外され、「長月」の時鐘とともに保存されています。新旧の「長月」と「ながつき」の鐘がそろって展示されているわけです。
これは、加賀の一ノ宮である白山比咩神社に一緒に並ぶ空母「加賀」と護衛艦「かが」の碑のようで、胸が熱くなります。
このように艦内神社とともに、遠い地に眠る艦とその艦と運命を共にした人たちを想う、よすがとなるものが増えるのは、本当にありがたいことです。
情報戦の弱さが大きな痛手に。そこから学びたいこと
「長月」の大破も空襲によるものでしたが、最近この連載をするにあたり、改めて日本の軍艦について調べ直していて感じるのは、戦争末期には空襲によって雌雄が決せられることが多いということ。つまりすでにその頃、航空母艦を活用した攻撃が功を奏していたのです。
もちろん、旧日本軍も、空母は所持していました。けれども、戦艦の力を信じ、こだわっていたように思います。このように新しい情報に敏感に取り入れていくというところが弱かった点が敗因のひとつになっていたのではないでしょうか。
先ほど話題に上げた航空母艦「加賀」が沈没したミッドウェー海戦にしても、情報の不足によるものといわれています。すなわち、実際の戦いでというより情報戦で負けてしまったっということ。そこから日本は一気に敗退の道をたどってしまうのです。
これは、今の日本にも通じるところがある気がしています。新たな情報の取捨選択と行動の迅速さなどがうまくいっていないように感じます。
この当時は情報をいかに早く正確に伝えられるか。現代は逆に情報量が多すぎてその中からどれを選び取るのか。
いずれにしても情報をどのように扱うかが重要だということです。
そう考えると、やはり人間が歴史から学ぶというのはいかに難しいのかということをひしひしと感じます。
このようなことから、艦内神社を通した艦の慰霊とともに、たくさんの艦にまつわる歴史を学ぶことから今の行動を見直すということもこれから考えていけたらと思っています。
私は、艦内神社についての他に、ゲームから経営心理を読み解く試みも行っています。
こちらもぜひご覧ください。
【光輝ブログ】パターン化と事前準備と相手を五感で感じること~経営心理をゲームから読み解く試み ①~
駆逐艦「長月」データ
艦種 | 駆逐艦・睦月型 |
艦内神社 | 皇大神宮(伊勢神宮) |
1925年(大正14年)4月16日東京石川島造船所で起工 | |
1927年(昭和2年)4月30日竣工 | |
1943年(昭和18年)7月7日 ニュージョージア島クラ湾で大破・放棄 | |
最後の艦長 | 古川為夫 少佐 |
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