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【光輝ブログ】多くの人々の想いによりサルベージされた駆逐艦「菊月」~和風月名を持つ艦・その5

2024年09月30日

9月の和風月名は「長月」。この名前に関連する艦は実は2艦あります。
駆逐艦「長月」と同じく駆逐艦の「菊月」です。
新暦では今月9月が長月ですが、旧暦では10月3日からということで、2カ月にわたり、駆逐艦「長月」と「菊月」についてご紹介いたします。

今回はまず、駆逐艦「菊月」からお伝えしていきたいと思います。

作戦の最後に放棄されてしまった駆逐艦「菊月」

駆逐艦「菊月」は睦月型9番艦として、1925年(大正14年)6月15日京都府舞鶴工作部で起工、1926年(大正15年)11月20日に竣工しました。他の睦月型駆逐艦と同様、当初は「第31号駆逐艦」と名付けられ、佐世保鎮守府に所属。主に輸送作戦に携わっていきます。

1928年の(昭和3年)に「菊月」と改名されますが、この名称は9月9日の「重陽の節句」からきています。
「重陽の節句」は、「菊の節句」とも呼ばれ、菊の花を飾ったり、菊酒を飲んだりして、厄よけや長寿を願う日。この日にちなんで、和風月名とは異なりますが、9月にまつわる艦名として命名されたのです。

最期は1942年(昭和17年)5月5日。珊瑚海海戦で傷ついた「菊月」は、曳航されてカブツ島の海岸まで移動していましたが、敵の空母の空襲があり、急遽、速やかに逃げるため「菊月」は放棄されました。

以下は仮説ですが、「菊月」は船体右側に被弾し、そのまま航行が不可能との判断により、放棄が決まったという見方をされています。生き残った乗組員と重要書類は別の艦に収容され、「菊月」はフロリダ諸島にそのまま置き去りにされてしまったのでした。

「菊月」を海の墓標にはしたくない

実は、この「菊月」は一部ではありますが、日本に帰ってきています。

「菊月」は、沈没ではなく放棄だったため、艦体は水上にその姿を残していました。そこで、その艦体の一部だけでも日本に戻したいという目的で、有志の皆さんによって一般社団法人「菊月保存会」(現在、法人は解散)が結成されました。「菊月」を「海の墓標のままにはしたくない」という強い想いからのものだったそうです。

ソロモン諸島政府との折衝などを重ね、2017年に「菊月」の第4砲塔をサルベージに成功。修復後、2020年の6月27日、舞鶴市の彌伽宜神社(みかげじんじゃ)に奉納されました。
国を越えた交渉や作業はどんなにか大変だったことでしょうか。
現在、この第4砲塔は、彌伽宜神社でどなたでも見ることができます。

1982年に結成され、しばらく活動を休止していた「駆逐艦菊月会(以下、菊月会)」も第4砲塔のサルベージに合わせて、2017年に新たに活動を再開しました。こちらの「菊月会」は、戦友会として、駆逐艦菊月に縁のあった旧軍人や遺族の皆さん、有志の方々により組織されています。

「菊月会」は、慰霊祭の開催をはじめとして、さまざまな活動を行っています。
2018年の2月には米軍の協力の下、復元図を作成して配布、2022年5月、浅草の寿仙院境内に慰霊碑を建立しています。

「海の墓標」として忘れ去られることなく、想いを向けられる「菊月」。「菊月会」の皆さんの意欲的な活動には本当に頭が下がる想いです。

さまざまな形で想いをつなぎ慰霊を続ける

「菊月」そのものは、駆逐艦ですので艦としては規模が大きくもなく、格別に有名な艦でもありません。ですが、今でも現地では姿が見られますし、舞鶴に行けば第4砲塔を見ることもできます。旧日本軍の艦としては本当に稀なものであるといえます。

と同時に、「菊月」へと想いを馳せる方々が多く、それを行動に移して多様な形で後世に残していっているというのは素晴らしいことだと思います。

「菊月」の艦内神社は皇大神宮ですが、彌伽宜神社や寿仙院からも想いを届けることができるでしょう。その意味では、艦内神社と同様の位置づけにあるものではないかと私は思っています。

近頃、この「菊月」や空母「加賀」、軽巡洋艦「矢矧(やはぎ)」など、新しく碑を建立したり碑の周りの環境を整えたりといった動きが増えてきており、うれしい限りです。艦内神社のことをもっと多くの方に知っていただき、慰霊、鎮魂の想いを抱いていただけることへの希望が持てるような気がします。

実は、私自身、地縁ネットワークの関係で舞鶴への参拝ができてはいません。地縁ネットワークの繋がり方に変化が起き始めている今、ぜひとも早いうちに参拝させていただけることを願っています。

「菊月」と同様、今も多くの方に心を向けられている戦艦「大和」についてはこちらのブログをご覧ください。
【光輝ブログ】秘密裏に建造された最大級の戦艦「大和」 奈良県大和神社とラムネ

駆逐艦「菊月」データ

艦種駆逐艦・睦月型
艦内神社皇大神宮(伊勢神宮)
1925年(大正14年)6月15日京都府舞鶴工作部で起工
1926年(大正15年)11月20日に竣工 佐世保鎮守府に所属
1942年(昭和17年)5月5日
ソロモン諸島ンゲラスレ島(フロリダ島)トウキョウ・ベイ内に放棄・喪失
最後の艦長森幸吉 少佐

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