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【光輝ブログ】秘密裏に建造された最大級の戦艦「大和」 奈良県大和神社とラムネ

2024年08月11日

13日にはお盆の入り、そして終戦記念日も近づいてきました。先の戦争でお亡くなりになった皆さまへの想いが募る時期ですね。

実は、旧日本海軍には「葉月」と名付けられた艦はありません。そこで今回は、和風月名にまつわる艦はいったんお休みして、当時世界最大の戦艦だった「大和」についてお伝えいたします。

秘密裏に建造された世界最大の戦艦「大和」とラムネ

当時の日本の技術と国力を最大限に注ぎ、秘密裏に建造された戦艦「大和」。
軍艦に詳しくなくても、「宇宙戦艦ヤマト」や他の映画などからご存じの方も多いのではないでしょうか。

戦艦「大和」は、1937年に広島県呉市の呉海軍工廠で起工し、1941年12月16日に竣工、就役することとなります。当初は、1942年の6月に竣工の予定でしたが、軍部の命令により完成が繰り上げられたといいます。「大和」は当時、世界最大の主砲と船体を持つ超大型戦艦でした。敵国に「大和」を超える艦を作られないよう、秘密の保持は相当に厳重だったようです。

「大和」という名前自体が、大和の国=日本を表すものであるところからも、国としての期待も大きかったこと、日本の力や威厳を誇示する艦として建造されていたのだろうことが推し量れます。

そんな「大和」は、沖縄防衛の支援のための天一作戦で出撃、1945年4月、鹿児島県の坊ノ岬沖でアメリカ軍の空襲により沈没しました。

最先端の技術を駆使して整えられた設備は豪華なもので、食事も充実していたといわれます。それは、「大和ホテル」と揶揄されて呼ばれるほど。乗船する方々もそれまでに多くの戦績を上げてきたいわゆるエリートが多かったようです。

また面白いエピソードとしては、「大和」の中でラムネが作られていたということ。
艦内の消火設備として備えられていた二酸化炭素を利用して作られていたもので、砂糖を使用するラムネは戦時下の物資不足の折には非常に貴重なものだったはずです。このラムネは上級の方たちばかりでなく、一般の乗組員の方々も飲むことができたそうです。

潮風を浴びる船上では、ラムネの刺激は心地良いものだったでしょうし、当時は本当に贅沢品だったラムネを飲むことは、追い詰められつつある日本の兵士たちの士気を上げるのにひと役買っていたのではないかと想像します。

現在、広島県の呉市ではこのことを受けて「大和ラムネ」が販売されています。
先日、呉市に行ったときに、私も海軍カレーとともに「大和ラムネ」をいただきました。今は、当たり前に飲むことができるラムネも、戦時下の兵士たちの気持ちを想うと、どんなにおいしく染み渡るものであったろうかと切ない気持ちになりました。

戦艦「大和」の大きさを体感できる大和神社

戦艦「大和」の艦内神社は、奈良県天理市にある大和神社です。神社の名前は「おおやまと」と呼びます。こちらの御分霊が戦艦「大和」にはお祀りされていました。

大和神社には「戦艦大和ゆかりの碑」やその説明板が建立され、「戦艦大和展示館」も併設されています。この展示館は、呉市にある「大和ミュージアム」とは趣きが異なり、「大和」の模型が3基、当時のスケッチや写真の他、遺族の皆さまから寄付された遺品などが展示されています。

そして、なんと言っても参道の長さが263m、これは戦艦「大和」の全長とほぼ同じです。さらに幅は参道の幅の5倍である39mとのこと。大和神社の参道を歩くことで「大和」の大きさを体感できるのです。「戦艦大和展示館」で見た「大和」の様子を思い描きながら、体で「大和」の大きさを感じることができるというのはすごいことだと思いませんか。

大和神社では、「大和」が描かれた御守りをはじめとして、「大和」をかたどった土鈴や交通安全ステッカーなどが用意されていて、戦艦「大和」や軍艦のファンにとっては垂涎の神社でもあります。
普段から多くの方々に参拝されていて、本当に愛されている神社なのだなと感じます。

鹿児島県から見えるほどの場所から戻ってこられなかった方々を悼む

大和神社の祖霊社には、坊ノ岬沖で沈んだ「大和」の乗組員2,736名が祀られています。「大和」が沈む様子は鹿児島の方からも見えたという話も聞きます。駆逐艦「冬月」、「雪風」も救助に向かいましたが、生存者は数百人。本土から見えるほどの距離にありながら、戻ることのかなわなかった2,736名の方々はどんなに無念であったでしょうか。

大和神社では年に1度、8月に「戦艦大和みたま祭」が行われます。祀られている2,736名の方々の慰霊のための行事です。こちらにもぜひ参加していただきたいと思いますが、その当日でなくとも、機会がありましたら大和神社に参拝していただけたらと思います。

広い広い境内の中の参道で「大和」の大きさを感じ、「戦艦大和展示館」や御守りに「大和」の姿を偲び、今も坊ノ岬沖の海に沈んだままの方々へ想いを馳せる……どこか現実から遠い物語のように「大和」を想うのではなく、自分から地続きの現実のひとつとして捉えることで、鎮魂の心が届くのではないかと私は思います。

戦艦「大和」に限らず、今年の終戦記念日はそんな捉え方で先人への慰霊を行ってみてはいかがでしょうか。

※大和神社の資料館とは異なる切り口で戦艦「大和」について展示が行われている広島県の呉市の「大和ミュージアム」は2025年2月中旬から2026年3月末まで休館となるようです。ご興味のある方は、休館前に訪れてみてはいかがでしょう。

なぜ私が艦内神社を探求するのかについては、こちらのブログをご覧ください。
【光輝ブログ】皆さん初めまして 艦内神社を探求する大杉光輝です!

戦艦「大和」データ

艦種戦艦・大和型
艦内神社大和(おおやまと)神社(奈良県天理市)
1937年(昭和12年)広島県呉市呉海軍工廠で起工
1941年(昭和16年)12月16日竣工 就役
1945年(昭和20年)4月7日
鹿児島県坊ノ岬沖にて沈没
最後の艦長 有賀幸作 1945年4月7日 戦死、同日付任海軍中将

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