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6月、上半期ももうすぐおしまいですね。和風月名が名前になっている駆逐艦シリーズ第3弾は、「水無月」をご紹介します。
先月ご紹介した「皐月」と艦としてのスペックは同じ兄弟のような艦ですが、「皐月」とは異なる動きをした艦が「水無月」です。
【光輝ブログ】淡々と輸送作戦を支え続けた黒子のような存在 駆逐艦 「皐月」~和風月名を持つ艦・その2
目次
外洋に出る前にアクシデントに見舞われた「水無月」
「水無月」が起工したのは、1925年、浦賀船渠でのこと。翌1926年に進水、1927年に竣工して佐世保鎮守府に配属されます。
睦月型駆逐艦で、当初の名前は第28号駆逐艦。「皐月」とは同型艦ということで基礎スペックや兵装は同様です。艦内神社も皇大神宮(伊勢神宮)となります。
1928年8月には第28号駆逐艦から「水無月」へと改称。睦月型駆逐艦の6番艦に当たりますから「水無月」です。実はこの「水無月」という名前、旧日本軍の艦に名付けられるのは2度目となります。最初の「水無月」は、1907年(明治40年)に竣工した初代神風型駆逐艦でした。
初代神風型駆逐艦には他にも和風月名を付けられた艦がありますが、どのような法則で名前が選ばれたのでしょうか。謎は深まります。
ともあれ、実は6月は私の誕生月なこともあり、「水無月」という名前には個人的に惹かれるものがあります。この「水無月」は外洋へ出る前、1934年9月に行われた演習のさなかに、「皐月」が打った魚雷が艦尾に当たり、スクリューを損傷してしまいます。
さらに、10月にはこれも演習中に駆逐艦「夕風」と衝突し損傷。幸い負傷者は出ませんでしたが、任務に就く前に2度もアクシデントに見舞われてしまったのでした。
空母「加賀」、軽巡洋艦「名取」とともに戦いの中心へ
1936年には空母「加賀」を旗艦とする第二航空戦隊が編制され、「水無月」もそこに加わります。
空母を守る役目につくわけです。
そして、1937年に始まる支那事変のために中国大陸沿岸に赴きます。支那事変は事実上の日中戦争の始まりとなるわけですが、「水無月」はその後、1941年には軽巡洋艦「名取」とともに中国大陸方面で行動をします。
1941年12月8日の太平洋戦争開戦時には第五水雷戦隊に所属、フィリピン攻略戦やジャワ島攻略戦に参加、戦いの中心にいました。
そして、次第に、太平洋南西部のソロモン海へと活躍の場を移していきます。
1944年6月ブーゲンビル島の戦いの真っ最中、給油戦の護衛で向かったフィリピン南部のダバオの南東海上で米軍の潜水艦の魚雷での攻撃により、沈没することとなります。
このとき、米軍の潜水艦は海面に浮上していたそうです。それを見つけて攻撃しに行き、逆に沈没させられたわけです。
なぜ、潜水艦がわざわざ浮上していたのか。もしかしたら、おとりだったのだろうか? あるいは、それまで輸送作戦にあまり参加していなかった「水無月」が輸送の護衛につくということは、急な任務だったのだろうか? 急だったために万全の体制ではなかったのかも……と考えれば考えるほど、気になる部分が出てきますが、実際にはどうだったのでしょうか。
「守ってほしい」という気持ちがあってこその艦内神社
「水無月」は、戦場のど真ん中にいることが多かったにも関わらず、長生きをした艦でした。危険な場所での任務のときには無事生き延びてきたのに、輸送作戦の際に最期を迎えてしまったというのにはなんともいえない気持ちになります。
旧日本軍の軍艦の中には「幸運艦」と呼ばれる艦があります。
文字通り、さまざまな理由や偶然により沈むことなく生きながらえてきた艦のことを指しています。
悲しいことに、戦争が激しさを増すにつれ、「お国のために命をささげるのが良いこと」という流れになっていった歴史がありますが、やはり、人も軍艦も生きて戻るのが一番です。
実際問題として、軍艦が無事帰還できれば、それだけ軍事費もかかりませんし、新たな人員を募る必要にも迫られません。戦場で生き残ることができれば、沈められた艦の乗員たちを助け上げることもできます。
そして、命が軽くなってしまう戦場であればこそ、人も艦も「生きて帰る」というだけで希望となります。「幸運艦」は希望の象徴となり得るのです。
そういう意味で、艦名を付けることにこだわりを持ち、幸先の良い名前を選ぶこと、そして、艦内神社として艦の中に神様をお祀りすることは、勝つことばかりを望むのではなく、幸運や無事を願う気持ちからだったのではないかと思っています。
そういう願いからお祀りされた艦内神社のおかげで、神社との結びつきができ、今、それをよすがに慰霊ができるのです。
艦内神社とその元の神社は繋がっています。ですから、やはり神社から一直線に想いや祈りが届きます。そのことからも、改めて、艦内神社の存在を忘れないようにしていきたいものです。
駆逐艦「水無月」データ
艦種 | 駆逐艦・睦月型 |
艦内神社 | 皇大神宮(伊勢神宮) |
1925年(大正14年)神奈川県 浦賀船渠で起工 | |
1927年(大正16年)3月22日竣工 佐世保鎮守府に所属 | |
1944年(昭和19年)6月6日 フィリピン ダバオ南東海上にて沈没 | |
最後の艦長 | 磯部慶二 大尉/少佐 |
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