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【光輝ブログ】淡々と輸送作戦を支え続けた黒子のような存在 駆逐艦 「皐月」~和風月名を持つ艦・その2

2024年05月19日

梅雨時前、さわやかな風の吹き渡る5月。
その5月の和風月名「皐月」を艦名に持つ駆逐艦を、今月の光輝ブログではご紹介したいと思います。

同じ型の駆逐艦でも、それぞれの所属やタイミング、その時に配属されていた艦長など、さまざまな状況により、役割や活躍の場というのは異なりました。

まるで黒子のように遠い南方で戦う人たちを支え続けたのが「皐月」でした。

【光輝ブログ】20年もの長きに渡り護衛を続けた艦 駆逐艦 「卯月」~和風月名を持つ艦・その1

スピードと機動力がものをいう駆逐艦

「皐月」は、睦月型駆逐艦の5番艦として誕生しました。
1923年に建造計画が始まり、2年後の1925年に進水し、佐世保鎮守府に所属となります。
最期(さいき)は、1944年のこと。フィリピンのマニラ湾沖で米軍の空襲により沈没しました。

全長は102.72m、全幅横が9.16m。艦首から艦尾までが100m強ということは、大人が歩いて2分くらい、陸上競技だとあっという間の距離ですね。

速力は最大で37.25ノット。時速でいうと70kmくらいです。
ちなみに、ノットなどあまり耳慣れない単位だと思いますが、速度を表す単位です。
戦艦大和で最大で27.46ノット(約50.8 km/h)ですから、かなりスピードが出ました。

船のスピードはその大きさや重さに反比例します。当然、重ければ重いほどスピードは出なくなるわけです。そして、なぜ大きく重くしなければならないかというと、その艦に搭載する主砲などの武器が重いから。大きな武器は発射した際の反動もかなりのものになります。そこで、それを支えるだけの重厚な土台となる艦が必要となるわけです。

「皐月」の武装は、12cm単装砲が4門。門というのは、大砲の砲身や砲口を数える単位です。7.7mm機関銃が2丁。61cm3連装魚雷が2基(6門)。それに、爆雷と爆雷投射機になります。

駆逐艦「皐月」は、コンパクトで軽い艦体に、スピードと機動力のある艦でした。

もうひとつ、航続距離のお話もしておきたいと思います。

「皐月」の航続距離は14ノット(約26km/h)で4,000海里となります。1海里はキロメートルに換算するとノットと同じく1.852km。要するに、14ノットの速度で7,400kmくらいまでは航行が可能であるということです。東京から鹿児島までがだいたい1,000kmくらいの距離ですから、やはりかなりの距離を航行できるということですね。この航続距離というのは、その艦に積み込める燃料の量によって変わってきます。

どのくらいの距離をどんなスピードで航行していたかがわかると、当時の乗組員の皆さんがどのような想いで日本を離れていったのかがイメージしやすいのではないかと思います。

まるで兄弟のように名付けられる艦名

実は、「皐月」は、最初から「皐月」という名前ではありませんでした。

竣工当初は第27号駆逐艦という名前で呼ばれていました。27番目に完成した駆逐艦だからという理由ですが、なんとも武骨な名前ですね。

それから3年後の1928年8月に、正式に「皐月」と改称されました。

皐月は第27号駆逐艦ですが、その当時で駆逐艦の数は30艦ほどになっていました。そこで、改めてきちんと名前を付けていこうということになったのではないかと推測します。

前回のブログでもご紹介しましたが、睦月型といわれる駆逐艦の旗艦は「睦月」で、そこから和風月名の艦が連なっています。睦月型の5番目の艦だから「皐月」と名付けられました。まるで兄弟の名前を一郎の次は二郎、三郎と付けていくみたいですね。

日本の軍艦の名前は、ひとつの艦種に対して和風月名であったり、山と決まったら山の名前、川なら川と付けていったりというパターンがとられています。例えば、戦艦であれば、大和、武蔵、信濃……と旧国の名前ですね。建造計画が途中で変わってしまうなどによりそのパターンが踏襲されないという例外もたまにはありますが、基本的にはこのように名付けられていたようです。

私は、この「睦月」から始まる、和風月名の艦名がとても好きです。今、月の名前を「皐月になったね」などと普段使いすることはほとんどないでしょう。ですが、私は、日本の軍艦に興味を持つようになってからは、心ひそかに、「皐月も半ばだなあ。もう上半期が終わるのか……」などと和風月名を使っています。

派手さはないが堅実な黒子のような役割を果たした「皐月」

「皐月」は、主に輸送作戦の護衛としての役割を担っていました。

重巡洋艦や軽巡洋艦を旗艦として、他の駆逐艦数隻とともに配備され、水雷戦隊という形で輸送船を護衛する。あるいは、艦自体に輸送物資を乗せて輸送するということもありました。

1943年のソロモン諸島の戦いやニュージャージー島の戦い、コロンバンガラ島沖海戦などでの輸送作戦に参加、7月4、5日のコロンバンガラ島緊急輸送作戦では、米軍の駆逐艦を沈めています。

目立った戦績としてはこのくらいで、他はひたすら南方で戦う人達のために物資を届けるための行動がほとんどだったのです。強烈なエピソードというのはありませんが、「皐月」は、戦いに出ている人たちを淡々と支えてきた艦であったということです。

日本軍に所属する艦は数多くありましたが、やはり、華々しい活躍をする艦もあれば、縁の下の力持ち的な役割を果たす艦もありました。それは、戦況に影響を受けたり、たまたま大きな戦いの前に破損して戦地に赴くことができなかったりといったことの他、艦長の配属の関係もあったようです。

特に、駆逐艦は艦長の交代が非常に頻繁でした。
「皐月」だけでも、竣工から最期を迎えるまでに20人もの艦長が任についていました。階級としては、中佐や少佐が艦長を務めることが多かったようです。そして、そういった方は、昇進をするとどんどん大きい艦へと移っていくわけです。そのため、艦長の交代が多かったのでしょう。

多くの輸送作戦に参加してきた「皐月」も1944年9月にフィリピンのマニラ沖で米軍の空襲を受けて沈没しました。

現在も「皐月」はこの場所に艦内神社とともに眠っています。ということは、大元の神様である皇大神宮と今も繋がっているということです。慰霊のためには、日本の伊勢神宮や神明神社から遠く離れて戻ることのかなわない「皐月」がとどまるその場所に向かって想いをはせていただけたらと思います。
まっすぐにその場所に向かって祈りを向けることにより、深い想いが届いてくれることと思います。

駆逐艦「皐月」データ

艦種 駆逐艦・睦月型
艦内神社皇大神宮(伊勢神宮)
1923年(大正12年)大阪 藤永田造船所で起工
1925年(大正14年)10月15日進水 佐世保鎮守府に所属
1944年(昭和19年)9月21日 フィリピン マニラ湾沖にて沈没
最後の艦長杉山忠嘉 少佐

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