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自力を尽くしたらあとは神頼み! 武将たちが祀っていた「軍神」とは

2021年07月15日

不安要素を埋めるための「神頼み」

戦国時代、武将たちの仕事といえば“戦”です。
現代と違い、一度戦場に出れば、生きるか死ぬかという日常を送っていました。

武将たちは、生き延びるため、また、君主のために日々鍛錬をして自分自身を高めていましたが、一方では、“自力だけがすべてではない”ということも理解していたといえます。

戦は「時の運」によって大きく左右されるものであり、その大前提だけは自分たちの力ではどうにも動かせないということを知っていたのです。

もちろん、それ以外の要素として、「地の利」や「兵力」などはありますが、それは自力の問題であり、自分次第でどうにかできるものでもあります。

しかし、戦はそうした問題をいくらクリアにしようとも、100%勝てるかといえば、そんなことはありえません。

では、その不安要素をどのように埋めるかといえば、神頼みになるわけです。
つまり、自力を発揮し尽くした武将たちは、他力である神仏の力にすがったのです。

もちろん、神仏に祈ったからといって必ず勝てるというものではありません。
それでも、何もしないで後悔や失敗するのであれば、やらないわけにはいかない。なぜなら、負けることはそのまま「死」につながるからです。

そんな彼らは現代の私たちからすると非常に信心深く見えますが、「死」と隣り合わせの日常を送っていたことを考えると、当然の行動だと理解できるのではないでしょうか。

軍神として有名だった天照大神

では、武将たちが時の運をつかむために、何を祀ったのでしょうか。
それは、戦の神である「軍神」です。
そして、当時の軍神として代表的な神様が「天照大神(あまてらすおおみかみ )」でした。

現代では軍神として知られるものに、八幡神(やはたのかみ)や、鹿島大明神、香取大明神、また諏訪大明神などがあります。
ですが、軍神というのは時代に応じて変わるものであり、今では天照大神が軍神だったということを知らない人も少なくありません。

天照大神は日本神話のなかで、男の身なりをして鎧をつけ、弓や矢を背負い、高天原にやってくる弟神であるスサノオを迎え撃っています。

ただし、戦といってもお互いに武器で斬り合ったわけではなく、相手の真実の心を問う「神事」によって争ったのでした。

その戦いによってさまざまな神様が生まれるのですが、それはまた別の機会にお話ししましょう。
要は、その神話によって当時の武将や民衆からは、天照大神は戦の神として捉えられていたのです。

日本は天照大神に守られた国

天照大神といえば、やはりゆかりが深いのが天皇家です。
天皇家は天照大神からこの日本の国を預かっているという常識は当時からありました。

天皇家と天照大神初代の関係は神話のなかでも描かれています。
初代天皇である神武天皇が即位する前、和歌山県の山奥で難儀に合い、あわや危機一髪というところで天照大神が死者をつかわし、窮地を救っています。

そもそも神武天皇は天照大神の子孫であり、そんな天皇家が治めている国だからこそ、戦になれば天照大神が道を示してくれるというわけです。
そして、そのご威光にあやかろうというのが戦国武将たちの考え方でした。

しかし、だんだんと世の中が平定されていくに従い、さまざまな軍神が祀られるようになっていくなかで、天照大神が軍神として祀られていたことが忘れ去られ、現在に至っています。

ですが、軍神を祀るという文化は消えることなく、時の運を味方にするために、神仏の力を活用しようとする慣習は続いているのです。

最後の念押しに神仏の力にあやかる

現代においてビジネスは、かつての戦とも捉えることもあります。
ならば、先人たちが神仏を祀ることで時の運を味方にしようとしたように、事業においても同様にチャンスをつかむために神頼みをしてみる価値はあるはずです。

まずは自力を存分に発揮して、できるかぎりの努力をしたあとに、最後の念押しとして神仏の力にあやかるくらいの気持ちも時には大切です。

軍神に祈願することによって、最後の最後に踏ん張ることもできますし、勝ち戦になった時には、神仏の加護があったから勝てたのだと、自分を諌めることもできる。
まさに「勝って兜の緒を締めよ」です。

また、負け戦の時でも、「負けから学ぶこともある」と、すぐに気持ちを切り替えることもできるしょう。
「できることはすべてやった」からこその念押しであれば、勝っても負けても悔いはないはずです。

つまり軍神への祈願は、神仏に勝敗を委ねられるほど努力した証です。
だからこそ、あとは運まかせと覚悟を決められる心境にまでたどり着けるというもの。
ビジネスでもこうした考え方は役立つのではないでしょうか。

徳川家康を後押しした「神田明神」

もし、時の運に味方してもらうために神社へ祈願にいくのなら、おすすめの一つが東京都千代田区にある「神田明神」です。

実は、神田明神は戦国武将の一人であり、天下人でもある徳川家康とのご縁が深いことで知られています。

天下分け目の大戦、関ヶ原の戦いを前に、家康は神田明神で戦勝祈願をしたと言い伝えられており、ちょうど神社の例大祭(れいたいさい)のときに勝利が確定したといわれています。

今だからこそ戦局の行く末は広く知られていますが、当時は東軍、西軍の力は拮抗しており、勝利はどちらに転んでもおかしくない状態でした。

多くの大名に声をかけて戦力を整え、敵をあらゆる計略にかけるなど、さまざまな手を尽くした家康は、最後に神田明神に足を運んだ。
そして、結果的に大勝利となり、その後に約260年、15代続く江戸時代へとつながる戦さとなったわけです。

神田明神に祈願をして時の運を手にしたということで、江戸開府以後、神田明神は江戸幕府に厚く崇敬されるようになり「江戸総鎮守」として称えられるようになりました。

また、そうした由来にあやかるアイテムとして、神社では「勝守(かちまもり)」というお守りを授与しており、勝負事や商談成立、学業成就の強い見方として人気となっています。

運を味方につけて天下を獲った家康にあやかれば、これほど心強いことはありません。 
事業において勝負を仕掛けるときや、競合とのプレゼンに負けられないときなど、万策を尽くすなら神田明神にごあいさつにいくのもよいでしょう。

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