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先日のブログ【私にとっての神社~遊び場から歴史をひもとく地へ】。こちらでは、私の幼少期からの神社への興味と神社への想いについてお伝えしました。
今回は、今の私を形づくるもう一つの源である母の故郷・信州についてのお話です。
土地と神社、土地と歴史から何が学べるか。そして、それが神旅®へとどう繋がっていくのかについてお伝えします。
目次
目をみはった満天の天の川と幻想的な夜神楽
私の母は、信州の山奥のとある集落で生まれ育ちました。急傾斜地にあり、いわゆる限界集落とでもいいましょうか。家の裏山に一族の墓があり、一番古いお墓が元禄時代のものというようなところです。そこに、母方の祖父母はもちろん、親戚たちが暮らしていました。
歴史好きな叔父は、一族がどうしてその集落にやってきたのかなどを調べて本にしています。その本は私にとっての愛読書です。
私も、母に連れられてその集落に小さな時から何度も訪れました。小学2年の頃の冬休みのことです。大晦日、先に寝ていると、ざわざわとする気配にふと目を覚ましました。すると、祖父が「お祭りに行くかい?」と声をかけてくれました。
標高1,000m以上もある山の上ですから、外は凍えるような寒さです。それでも私は「行く!」と即答。祖父と一緒に行くことになりました。
「お祭りってなんだろう?」と思いつつも大人たちについて歩く山道の空には見事な天の川が広がっていました。冬の天の川は驚くほどきれい! 私は、幼稚園の頃からギリシャ神話に興味がありました。ギリシャ神話をきっかけに星座を覚えよう! そう思い始めたのは、この天の川の美しさを目の当たりにしてからでした。
そうして、たどり着いた神社では真っ暗闇の中にオレンジ色の明かりがふわりふわりと揺れています。大人たちの普段とは異なるざわめき。お社で年越しのお祭りとして、夜神楽が行われていたのです。いつもとは違う独特の雰囲気の中でお参りをしました。
歴史を好きになって始まった史跡巡り
やがて歴史に興味を持つようになった私は、信州行きの度に史跡巡りをするように。山を越えた隣町まではさすがに行けません。そこで、叔父や叔母に連れて行ってもらえるように懇願しました。農作業を終えた後、用事のついでに連れて行ってもらうのです。連れて行ってもらった史跡は細い木札の看板が朽ちかけているような場所ばかり。大人たちには「どこがおもしろいの?」といわれます。
しかし、私はそれを見て
「史跡として残されているのに、このように忘れ去られた状態になるのだろう」
と、疑問を持つのでした。
ある時は、健脚だった祖父が仕事で山を越えた先の町に歩いて行くというのに着いていきました。すると、かなり遠いところの神社の宮司さんと祖父が知り合いだったとわかり、子ども心に驚きつつも、お話を聞きました。
少しずつ自分でもあちらこちらに行けるようになると、山向こうにそれは素敵な湖を見つけました。そこには神社も祀られていました。美しい湖と神社のたたずまいが大のお気に入りとなって足しげく通い、そこには今でもよく訪れます。
さらに長じて、どんどん行動範囲を広げて川中島を訪れるまでになりました。自分の足(最初は親戚にお願いしていましたが)で巡り、見て、聞いた話がどんどん自分の中に蓄積され、さまざまな疑問を生み出していったのです。
見たもの聞いたものから広げる考察
山向こうの美しい湖と神社。この神社には、戦勝祈願の願文などが奉納されています。それも、さまざまな時代に渡る人たちが訪れていたことがわかります。教科書に載っているような歴史からすると特別な場所ではないところです。
しかし、そこを通るためには、その土地に住まう人たちを味方につけなければならなかったこと。交通の要衝であったということが見て取れるのです。そういったことを調べていきながら、夏休みになると、そこで繰り広げられたであろう出来事に想いをはせていました。
神社の由来や神社が祀られた理由なども調べたり考えたりしました。
湖が飲み水としてや棚田を作るための山奥の貴重な水源であったからということ。そのような現実的な事情とともに、伝説的なお話もあります。湖の神様の力を借りるために犠牲にならなければならなかったといった伝承も出てきます。
このような伝承は、その湖でばかりではなく、他の地域の湖でも多いものです。でも、その犠牲になるのがおじいさんのところもあれば若い娘さんのところもあるのはどうしてだろうか? と、またしても疑問を持ち、比較検証するようにもなりました。
土地や歴史がその地の人たちを育てる
小学生の頃の私は、小さな史跡の看板が朽ちて倒れかけているのを見て衝撃を受けました。それは歴史的に有名な史跡と比べると全く異なる姿でした。
今では、そのような状態は受け止められようになりました。やはり、人知れぬ神社や史跡は獣道の先に草刈もされずひっそりと存在することが多いのです。でも、そこも関わる人にとっては大事な場所なのです。
学校で学ぶ歴史というのは基本的に、中央政治史です。その時代の“首都”で繰り広げられる歴史というわけです。そこに、地方の歴史や産業史、衣服史、農業史といった各論的な歴史が組み合わさっていきます。しかし、それだけが歴史ではないのです。
私が信州の山奥で調べ考えたその土地の歴史のように。その土地でなぜその出来事が起きたのか、そこから何を学べるのか。また、その土地に育まれ住んでいる自分にとって、それらがどう影響しているのか。それらを考え続けて、私がたどり着いたのが風土という考え方です。 風土や風土史はそれぞれの人の基盤となり、気づきの元となるはずなのです。
「好き」をたくさんの人に知ってもらいたい気持ちが神旅®の原型に
このように、母が生まれ育った信州の集落やその周辺の湖と神社は、私にある意味、オールマイティーな空間でした。思索にふけり、未来を考え、過去を振り返り、今を見つめる。いろいろなアイデアを考える。あるいはちょっと立ち止まり、総合的に人生を俯瞰する……。
と、同時に小さな頃から、こんなにすてきな場所なのだから、もっとたくさんの大切な人に来てもらいたい。どうしたら来てもらえるだろうかと考えていました。思えば、現在、皆さんにご参加いただいている神旅®の考え方の原型があったのだと思います。
ただの観光地としてではなく、その土地のことを知り、感じ、深く内省をしていただく場所として皆さんをご案内するのが神旅®です。
その土地によりお伝えすることはさまざまです。しかし、私がお伝えするのは子ども時代から信州で考え続けていたことからはブレません。私が皆さんにお渡しすることから、経験を通して皆さんの五感で感じ取ってほしいと思います。
【関連記事】改めて感じた「神社」と「土地」との繋がり
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