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旧日本軍の軍艦は、それぞれに艦内神社をお祀りし、遠く離れても分祀された神社とのご縁が繋がっています。
そのご縁とは別に日本の思いがけない土地に慰霊碑が建立されているケースがあります。
今回はそのような艦である、駆逐艦「曙」についてお伝えします。
多くの人を救いながらも自らはマニラ湾に沈んだ駆逐艦「曙」
駆逐艦「曙」は、吹雪型駆逐艦の18番艦にあたります。18艦以上作られたということは、吹雪型の駆逐艦は性能的にかなり優秀だったのだと推し量れます。
「曙」は大阪市の藤永田造船所で1929年(昭和4年)10月25日に起工され、翌1930年(昭和5年)11月7日に進水します。
艦内神社は皇大神宮。
就役後は、主に護衛や輸送作戦において活躍します。
1944年(昭和19年)フィリピンのレイテ沖海戦に参戦。
スリガオ海峡海戦で大破した重巡洋艦「最上」撤退の護衛をしますが、アメリカ軍の空襲を受けて「最上」は航行不能となってしまいます。そこで、生存者約700名を救出後、「最上」を雷撃処分。
フィリピンのルソン島中部のマニラ湾に無事到着、全員を退避させます。
その後、陸軍第一師団をオルモックへ輸送するために、マニラ湾を離れますが、11月4日に帰投。その翌日5日にアメリカ軍の空襲を受け航行不能になってしまいます。
「曙」の最期は11月13日。
再び空襲を受けた「曙」は、着底してしまいます。壊れてしまったのではなく、水が入って沈んでしまったわけです。
宮城県白石市の傑山寺に駆逐艦「曙」の慰霊碑が
そのままマニラ湾に沈んでいた「曙」ですが、戦後10年あまりたった、1955年から1956年にかけて、引き揚げられ解体されます。同じ空襲の際に、一緒に沈んでいた軽巡洋艦「木曾」と駆逐艦「秋霜」も同時に解体されたのでした。
なぜこれほど長いこと放置されてしまったのか。
それは、その当時、独立したばかりだったフィリピン共和国政府がまだ財政難だったことから、サルベージをして解体するだけの資金が不足していたためといわれています。そのため日本の戦後の賠償事業の一環として行われたのでした。
ところで、宮城県白石市に傑山寺というお寺があります。ここは伊達政宗の重臣であった片倉小十郎の菩提寺です。

このお寺の背後にある山の墓所に「曙」の慰霊碑があります。

「茜さすマニラ湾頭 あゝ殉国二百十四の兵士」と刻まれた碑のすぐ隣には「曙」の砲術長であった岩淵成忠少佐の碑が建っています。
なぜ、起工された大阪市からも、艦内神社のある伊勢からもはるかに離れた宮城県に「曙」の碑があるのでしょうか。

実は、これらの碑は岩淵少佐のお兄さんが建てられたのだそうです。
お身内の方がどれだけの想いでこの二つの碑を建てられたかと思うと胸が痛みます。
離れたところから鎮魂の想いを届けることの意味を改めて考える
今回の「曙」のように艦内神社について調べているうちに、一見何の関係性もないところに、慰霊碑が建っているなど何らかの関わりに出会うことが度々あります。
もしかすると、艦内神社のために地域について地道に調べたりその土地を訪れたりすること、想いを向けることそのものが鎮魂に繋がるのではないかと、最近、思い始めています。
私の父方の祖父母も戦争経験者です。祖父は陸軍に従軍した経験があり、祖母は自転車をこいでいるときに戦闘機に襲われたことがあるそうです。崖から転げ落ちたために間一髪で見逃されたとのこと。そんな2人の話を聞くことからも自分の中で戦争の重みを感じています。
今、住んでいるところからはご先祖のお墓も遠く、家に仏壇もないことからなかなかお参りに行くことはできません。ですが、艦内神社や戦争のことを調べることで自然に祖父母に想いを向けていることがあります。
どんなに遠い海の向こうであっても、近くに艦内神社や慰霊碑がなくても、その海、その土地を想うことがすべて鎮魂に繋がっていくのではないか。改めて、そんなことを考えたのでした。
こちらのブログでは、鎮魂の想いを届けるよすがとするための知識として「連合艦隊」について解説しています。
【光輝ブログ】旧日本軍の「連合艦隊」とは何か~艦内神社への理解を深めるために②
駆逐艦「曙」データ
艦種 | 駆逐艦・吹雪型 |
艦内神社 | 皇大神宮 |
1929年(昭和4年)10月25日 大阪市藤永田造船所で起工 1930年(昭和5年)11月7日 進水 1944年(昭和19年)11月13日 フィリピン マニラ湾にてアメリカ軍の空襲により着底 | |
最後の艦長 | 余田四郎 少佐 |
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