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大杉日香理ブログ

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縄文を知れば現代の悩みも解決する?!歴史は「覚える」ではなく「現代に活かすもの」

つい先日、青森県の三内丸山遺跡など「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されるというニュースがありました。近年、国内外問わずその注目度が高まっている縄文時代。
そこで今回は、「縄文と神社」という切り口で、私なりに縄文についてお話ししたいと思います。

日本のルーツは縄文時代にある?

約1万年も続いた縄文時代。少し前までは、縄文人と言えば原始人のような風貌を想像する人が多かったと思いますが、最近の研究では縄文人も想像以上に知的な生活をしていたことがわかっており、科学的な手法で穀物を煮炊きしていたのは日本が最古かもしれないという調査結果もあります。

新たな発見によってますます縄文時代への興味関心が高まり

「平和な時代が続いた理由は何?そこには特別な精神性があったのでは?」
「日本の精神性のルーツは縄文時代にあるに違いない」

と考えるようになった人もいらっしゃるかもしれません。

私も、縄文時代はひとつのルーツだと思っています。でもこれは、よく考えてみると当然のこと。
日本は対外的に「植民地にされていない国」の一つです。実質植民地になったのでは?という意見もあると思いますが、ここでは置いておきましょう。自国の文化・風習・思想・宗教・言語、こういったことが上書きされることなく受け継がれてきているのは確かです。

つまり、歴史を一つひとつさかのぼってたどり着く縄文時代は、確実に現代と繋がっていると言えます。
同じように、弥生時代や古墳時代もすべて、現代に繋がっているルーツです。

歴史は大河のように繋がっている

時代の流れを「川」に例えてみましょう。

石器時代にぼたぼたと落ち始めた「水滴」が
  ↓

縄文時代には「沢」になり
  ↓
弥生時代になると沢より少し深い「渓流」になる


こうして徐々に各時代の支流があつまって大河になると考えると、現代はその一番下流付近にいる状態です。この下流の水は、縄文だけの水では当然ありません。さまざまな時代の影響を受けて、私たちは「現代」という時代の流れの上に立っています。

このように歴史を捉えていくと

「沢の頃はどうなっていたの?」
「渓流の時代はどうだった?」

と、知りたくなってくるのではないでしょうか。

とくに文字がなかった縄文時代の情報を紐解くのは簡単ではありません。だからこそ、何かを発見できた時のインパクトは大きいでしょう。
それも、縄文時代が人々を惹きつける理由の一つかもしれません。

神社をとおして縄文時代を想像する

では、縄文時代の情報を集めるためにオススメの方法をご紹介します。
文字がなかった縄文時代の情報を探るには、足を運んでフィールドワークをするのが一番オススメです(もちろん後年になって誰かがまとめた書籍から情報収集するのもOK)。とくに、神社を切り口に縄文を深掘りしてみてください。

神社がある場所は、縄文時代からそこで何かしらの信仰があった場所がほとんどです。ただ、当時は今のような豪華な社殿はありません。山や巨木自体を信仰したり、地面に大木を立てて祀ったりしていました。今とは違う風景が、そこにはあったんだと想像してみましょう。

ほかにも、縄文時代は今より温暖な気候だった時期もあるので、東北地方の山奥ですら暖かかったようです。当然今より海の面積もひろく、長野県の八ヶ岳あたりまで海が広がっていた時代(縄文海進)もあったとされています。

つまり、同じ場所でも時代によって見える景色は大きく異なるということ。こういう視点をもって縄文を考えてみると、それだけで私たちの脳は縄文時代にタイムスリップして当時を疑似体験できるのです。

神社のお祭りに縄文の名残がある

神社のお祭りは、その神社に伝わる印象的な出来事を語り継いでいるものでもあります。そう考えると、古くから続いているお祭りには、縄文時代にまでさかのぼれるような大切なヒントが隠されているかもしれません。

長野県の諏訪大社は、7年に一度「御柱祭」というお祭りをおこないます。次に催行されるのは2022年の予定です。山から大木を伐り出し、その木にまたがって坂道を落ちていく祭りは「奇祭」と言われるほど、独特なものです。

そして面白いことに、いろいろな推論がされている御柱祭ですが、なぜこのような形のお祭りなのかは未だに確定していないのです。なぜかわからない、むしろ危険なお祭り、けれども現代にまで続いている……。そこにはなにか、縄文時代からつづくエネルギーがこめられているように思います。

御柱祭のような猛々しいお祭りもあれば、全国には逆にとても静かなお祭りもあります。こういった陰陽のエネルギーが強いものほど、次世代に継ぐエネルギーが強いのかもしれません。

「和」の意味は時代によって変わるのか

時代によって風景が変わっていくように、社会情勢も時代観も変わっていきます。

たとえば、日本の精神性を表す言葉のひとつ「和」について考えてみましょう。
聖徳太子が十七条の憲法で「和をもって貴しとなす」と言ったように、「和」というと皆で話し合って物事を解決するイメージがあるかもしれません。

しかし現代の実生活において、すべてのことが話し合いだけで解決できるでしょうか。物事にはさまざまな要素があり、多数派から少数派まですべての意見を聞いていては答えをまとめるのは難しいです。では聖徳太子は嘘や間違いを言ったのかというと、そういう訳でもない。

時代によって捉え方は変化するものなので、その違いを踏まえないまま、すべてを今の生活様式に取り入れようとすると当然うまくいかなくなるのです。

「聖徳太子は和をもって貴しとなすと言ったけれど、実際話し合いだけではうまくいかない……」
そんな違和感がでてきたら、それは考えるきっかけというチャンスです。

当時はなぜそういう考えだったの?と考えてみましょう。

そのためには、まず情報収集が必要です。現代は情報が氾濫しているのでリサーチするなかで偽情報が入ってくるかもしれませんし、本質的な情報もあるかもしれません。
ですが考えるのはいったん後にして、まずは収集することがポイント。集めてみてから、最終的に必要な情報はどれか考えてみてください。

歴史を想像すれば「視点」が増えて解決に繋がる

こうして、歴史を題材に「なぜ?」「どうして?」と情報を集めて考えるようになると、結果として、話し合いで解決しようとしてもうまくいかなかった問題が、解決できるようになります。
または、すぐには解決できなくても、それに感情を引っ張られずコントロールできるようになります。

なぜなら、歴史をとおして自分なりの考えを深めることであなたの視点が増え「○○の要素もあるかもしれない」とさまざまな捉え方ができるようになり、複雑な問題を要素分解できるようになるからです。

「歴史」と聞くと、学生時代の暗記学習のイメージがあるかもしれませんが、実は、当時はどうだったのだろう?と想像力を働かせることで、あなたの視点を増やすことに繋がります。つまり歴史は、現代に活かすことができる学問なのです。

ですから、縄文時代に興味があるという人は、これをきっかけに他の時代も調べてみてください。正しい知識を知ることが大切なのではなく、自分なりに推論したり想像したりするプロセスを楽しんでいくうちに、現代の自分にも活かせるようになっていくはず。そして、生きやすくなるはずです。

最後に

今回は「縄文と神社」という切り口でお話ししました。皆さんの知りたい縄文情報とは少し違ったかもしれませんが、ロマンあふれる縄文時代への探究心をきっかけに「考える」「想像してみる」など皆さんなりのプロセスを楽しんで、現代の生活に活かしていっていただければと思います。

最後に、「縄文」という名前は東京都品川区と大田区にまたがる「大森貝塚」を発見したモース博士が命名したのですが、なぜ「縄文」という言葉を選んだのでしょうか。
土器の縄模様が由来といわれていますが、土器の特徴で言えばほかにも火焔土器があるので「火焔時代」でも良さそうですし、「狩猟時代」でもいいはずです。
それでも「縄文」が使われるようになったのには、ある理由があります。それは、大森貝塚遺跡庭園内にある説明版に書かれていますので、機会があればフィールドワークを兼ねて足を運んでみてくださいね。
意外と都会にも、縄文の名残はあるようです。

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