大杉日香理ブログ
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「地理」を知れば神社巡りがもっと楽しくなる!歴史的大戦と地理の関係
- 開運コラム
「歴史」を学べば先人の経験を追体験することができますが、このとき「地理」の視点もあるとより具体的に想像を膨らますことができます。
とくに神社は、「歴史」と「地理」の両軸を知るのに最適な場所です。今回は、その両軸がまじわり、歴史の舞台となったある神社を紹介します。
承久の乱の舞台となった場所
現在放送中の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を楽しんでいることは、以前からこのブログでも話していますが、個人的な注目ポイントのひとつは「承久の乱」をどう描くのかという点です。
承久の乱を簡単に説明すると、朝廷vs武士の戦いで、朝廷側が敗北し島流しに遭うという、日本に激震が走った事件です。
これまで大河ドラマではっきり描かれることはなかったように思いますが、今回は、おそらく重要なエピソードのひとつとして描かれるはず! と、承久の乱好きとしては期待が膨らみます。
この乱が勃発した場所は、現在の京都市伏見区にある「城南宮」といわれています。城南宮は平安京遷都のとき、都を守護する神として創建された神社です。
どうしてこの場所が承久の乱の舞台となったのでしょうか。

城南宮は南の要衝だった
その理由は、城南宮の立地が関係しています。
城南宮は都の南に位置していますが、さらにその南にあるのが宇治川です。
南側から京都に上がるためには、この宇治川を渡らなければなりません。
ということは、宇治橋や城南宮のあたりが都を死守するボトルネックだったと考えられます。敵を入らせないための要衝ということです。
承久の乱では、北条泰時がこの宇治川を渡り、朝廷軍を破りました。
そして時代が進み、戊辰戦争の初戦「鳥羽伏見の戦い」が始まった場所も、同じ城南宮でした。
京都に入ろうとする旧幕府軍を、薩摩兵が城南宮の参道で待ち構え砲撃したと伝わっています。

日本の狭い国土のなかで、大きな戦を展開できる場所は限られています。
他にも、「壬申の乱」と「関ヶ原の戦い」も同じ場所で起きています。天下分け目の大戦を地理の視点で探ってみると、非常に興味深いです。
神社は「歴史」と「地理」の上に建っている
神社は、「歴史」と「地理」の縦軸×横軸がまじわる場所に建っています。
神社をめぐる際は、地理の視点を加えてみるとより深い洞察ができるはずです。
たとえば桑畑があった土地は、水はけが良く栄養が流れやすい痩せた土地だったと考えられます。
となると、住んでいた人々は困窮していたかもしれないし、もしかすると一揆があったかもしれない。
また、生活が成り立っていたとしたら、他に資源があったのでは……などの推測ができます。
このように地理の視点が加わると、考える材料が増え洞察力を鍛えることができます。
まとめ
今回は、神社巡りがもっと楽しくなる「地理」の視点についてお話ししました。
なぜ、これほど歴史や地理を学ぶことを薦めているのかというと、失敗が減るからです。長い人生のなかでは、失敗から学ぶことも多々あります。
ですが先人たちの経験を自分事としてシミュレートしておけば、それが経験値となり、必要以上に失敗を繰り返す必要がなくなるのです。
城南宮に限らず、神社はそのためのヒントをたくさん保存している図書館のような場所です。
せっかく神社を参拝するなら、歴史や地理にも思いを馳せてみてほしいと思います。
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